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help RSS 【歴史の真実】 サンタクロ−スはトルコ人 

<<   作成日時 : 2010/01/22 23:34   >>

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 僕自身、調べてみて、一般的に言われている歴史と真実には違いがある場合があることが分かって来ました。

 掲題に上げたことは、昨年(2009年)に 宮崎正弘氏のメルマガ:「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」の6月12日の読者の声によってです。 一部を引用します。


-----(引用開始)-----------------------------------------------------
(読者の声7)貴誌通巻第2626号(読者の声3)でdoraQ氏が書かれた「この状況は欧州の大航海時代まで続きますが、その頃の世界的中心を国でいうと、西に(アラブ人を支配したトルコ人の)オスマン帝国と東の(支那人を支配した満州人の)清朝でしょう」は慧眼の指摘です。
西暦1600年にヨーロッパで社会情勢に詳しい人に100年後のヨーロッパの覇者はどの国かと聞けば、その答えはオスマントルコ帝国であるという答えが返ってきたであろうというのは、言い古され言葉です。
しかしこの表向きはへりくだって客観さを装うヨーロッパ知識人の言葉の裏には、トルコに対する鬱屈したコンプレックスが隠れています。
韓国の学者が内輪で議論をするときにはいかに韓国の竹島領有権の主張が不当なものであるかを認識していても、表向きでは決して認めないのと同様にトルコに関していくつか表立って言わない重要なことがあります。

そのうちのひとつは、アヴァール人がヨーロッパが未開地から脱却するのに果した決定的に重要な役割です。
もうひとつは17世紀にトルコがオリエントの覇者に加えオクシデント(ヨーロッパ)の覇者となることができなかった最大の要因です。
それは日本が鎖国をしたことです。

16世紀末日本では、世界最高の性能を持った武器が世界総生産の大半を占める量で製造され、しかもそれが実戦で実験され検証されていました。
しかし関が原の合戦以降、日本での市場が小さくなり、大量に輸出されるようになりました。その輸出先がオスマントルコ帝国でした。17世紀初頭におけるトルコの破竹の快進撃の一大要因は、日本から輸入した大量の高性能兵器でした。その輸入が日本の鎖国で途絶えた後、トルコの快進撃も終りました。このことは、欧米人が面子にかけて絶対に認めたくないことです。
では、何故他のヨーロッパ諸国も日本から競って兵器を輸入しなかったのかという疑問が残ります。
輸入するための外貨の不足も一因でしょうが、もうひとつ決定的な要因がありました。当時の西ヨーロッパ各国で使われていた戦法には向かなかったのです。
当時、西ヨーロッパでは、軍事には速射ができる胸当て銃、狩猟には命中精度の高い頬当て銃が使われていました。日本ではいずれにも頬当て銃が使われていました。西ヨーロッパ各国では、戦法を変え、兵士を訓練しなおし、ロジスティクスを変えない限り日本から銃を輸入しても使えませんでした。

さらに二つ。欧米でタブーになっているトルコの話があります。
ひとつは歴史上一番有名なトルコ人、聖ニコラスです。またの名をサンタクロースといいます。しかし、欧米ではトナカイに乗った北欧人とされています。
もうひとつは種痘です。
イギリス人のジェンナーが乳搾りを行う農婦が天然痘に罹らないことから発見したと言われていますが、実は、ジェンナーの知人がトルコ旅行をして、当時トルコでは、種痘が行われていたことを話すのを聴いて、実験で確認したのでした。
既に効果が確認されトルコで長年にわたって行われていたことの効果を再確認したのでした。 

-----(引用終り)-----------------------------------------------------


 もう一つAFPから一部引用です。
 
-----(引用開始)-----------------------------------------------------
サンタは失せろ!クリスマスの象徴は聖ニコラス ドイツ

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聖ニコラスは、4世紀に現在のトルコに実在した司教だ。 貧しい人々にこっそりプレゼントをしていた寛大さと謙虚さで知られる。 貧しさゆえに父親から売春婦として売られそうになっていた3人の娘たちを助けるために、娘たちの枕元に金塊を一晩に1個ずつ、3夜にわたって密かに置いたという逸話も残されている。

 毎年12月6日、世界各地でカトリックやギリシャ正教信者たちが「聖ニコラスの日」を祝う。子どもたちは、この日の朝、前の晩に並べておいた靴の中にプレゼントのチョコレートがぎっしり詰まっている光景を目にすることになる。

 そんな聖ニコラスのお株を奪ってきたサンタクロース。 赤い服、まるまると太った体格、ふわふわした白いひげというおなじみのイメージは、米コカコーラ(Coca-Cola)社の1930年代のコマーシャルが由来だといわれる。


-----(引用終り)-----------------------------------------------------


 また、クリスマスは一般的にキリストの誕生日となっていますが、これも違うようです。

 以下、クリスマスの起源と伝統より一部を引用します。


-----(引用開始)------------------------------------------------------

■■誰も知らないキリストの誕生日■■

 クリスマスの12月25日といえば、ほとんどの人がキリストが誕生した日だと思っていることだろう。しかし、実際にはキリストが何日に生まれたかということは定かでないし、初期キリスト教の時代には、教会も教徒もキリストの誕生日にはそれほど関心がなく、祝う必要も感じていなかったという。そのわけは、言われてみればなるほどと頷ける。 キリストについてまず何よりも重要なことは、その死と復活にあった。だから、降誕を祝うよりも復活祭の方が大きな意味を持っていたのだ。

 しかし、いくら死と復活が重要だといっても、それは誕生なくしては成立しない奇跡であり、キリストのこの世への来臨も重要なものになってくるのは、自然の成り行きといえる。キリストの誕生を祝う祝祭は、最初は異端的な東方教会で、キリストが洗礼を受けた日を1月6日と定め、洗礼によって神としてのキリストが初めて現れたことを祝う顕現祭として行われていた。 現在のようにキリストの誕生が12月25日に定められたのは、4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマでのことだったとされる。

 では、いつ生まれたのか定かではないキリストの誕生日がなぜこの日になったのか、その事情はとても興味深いものがある。当時のローマでは、太陽神を崇拝する異教が大きな力を持ち、ほぼ冬至にあたる12月25日を太陽神を祭る祝祭日としていた。そこでコンスタンティヌス帝と教会の思惑が絡み合い、異教徒との対立や摩擦を生むことなくキリスト教が浸透するように、この日が降誕祭に選ばれたというのだ。

 冬至を降誕祭の日にしたことは、クリスマスが世界に広がるひとつの要因になったといえる。なぜなら冬至というのは、一年のうちで昼の時間が一番短くなる日で、それから日増しに日が長くなっていくことから、この日に新しい太陽の誕生を祝うという習慣は、世界を見渡しても決して珍しいものではない。日本にも冬至の日には、ゆず湯に入ったり、小豆粥やカボチャを食べる習慣がある。 この日にカボチャを食べると風邪をひかないという言い伝えはよく知られている。ちなみに、ヨーロッパの国々のなかでも、エストニアやスカンディナヴィアでは、いまでも冬至をキリストの誕生日とみなす考え方が残っている地域があるという。


-----(引用終り)------------------------------------------------------



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