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zoom RSS 【安全保障問題】 アメリカは日本を守らない! (5) 米国の歴史

<<   作成日時 : 2008/02/28 12:39   >>

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 先日書いた「【安全保障問題】 アメリカは日本を守らない! (4) 在日米軍」の続きです。

 ここで、米国の歴史を見てみたいと思います。 歴史とは単なる過去の出来事ではなく歴史の延長、連綿としたつながりの中で現在にまで至っていると考えています。

 戦争、という面で見れば、下記の本が参照になります。

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 「戦争中毒―アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由」 ジョエル アンドレアス (著)
           合同出版 (2002)   ISBN-10: 4772602992

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 僕自身も書評を書いてますので参考まで、【書評】  戦争中毒―アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由

 アメリカにとっては、軍事産業が一大産業で産軍複合体といわれる如くの状態で、世界最大の武器輸出国でもあります。 残念ながらアメリカにとっては、戦争は一大公共事業ということです。

特に注意したいのが、マニュフェストデステニー(manifest destiny)
キリスト教徒による新大陸の獲得と開拓を神に与えられた明白な使命!
とする考え方、この考え方を拡大解釈していくと何をやっても正当化されることになってしまわないかと....
恐ろし事です。


以下、アメリカの戦争の記録です。 wikipediaより引用します。
-----(引用開始)-------------------------------------------------------------------
アメリカの戦争と外交政策(アメリカのせんそうとがいこうせいさく)

[編集] 植民地形成から独立まで
詳細は13植民地を参照

1609年-1613年、1609年-1613年のポウハタン戦争。バージニア植民者は、アメリカ先住民ポウハタン族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1622年、1622年のポウハタン戦争。バージニア植民者は、アメリカ先住民ポウハタン族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1637年、ピクォート戦争。マサチューセッツ植民者は、アメリカ先住民ピクォート族と戦争し、植民者先住民の居住地域を併合した。
1643年-1645年、キーフツ戦争。ニューヨーク植民者は、アメリカ先住民レネーペ族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1644年-1646年、1644年-1644年のポウハタン戦争。バージニア植民者は、アメリカ先住民ポウハタン族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1659年-1663年、エスパス戦争。ニューヨーク植民者は、アメリカ先住民エスパス族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1675年-1676年、キング・フィリップス戦争。マサチューセッツ植民者、コネチカット植民者は、アメリカ先住民ポダンク族、ニップマック族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1675年-1676年、ベーコン戦争。バージニア植民者は、アメリカ先住民サスケハナ族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1680年、プエブロ戦争。ニューメキシコ植民はと、アメリカ先住民プエブロ族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1711年-1715年、タスカローラ戦争。ノースカロライナ植民者は、アメリカ先住民タスカローラ族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1715年-1716年、ヤマシー戦争。ジョージア植民者、フロリダ植民者は、アメリカ先住民ヤマシー族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1716年-1729年、ナチェス戦争。アラバマ植民者、ミシシッピ植民者、ルイジアナ植民者は、アメリカ先住民ナチェス族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1734年、チカソー戦争。ルイジアナ植民者は、アメリカ先住民チカソー族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1759年-1761年、チェロキー戦争。バージニア植民者、ノースカロライナ植民者、サウスカロライナ植民者、テネシー植民者、アラバマ植民者は、アメリカ先住民チェロキー族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1763年-1766年、ポンティアック戦争。オハイオ植民者、インディアナ植民者、ミシガン植民者、イリノイ植民者、ウィスコンシン植民者は、アメリカ先住民オタワ族、オジブワ族、ポタワトミ族、ショーニー族、ワイアンドット族、キカプー族、ピアンカショー族、ワー族、マイアミ族、マスコーテン族、レネーペ族、ミンゴ族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。
1773年-1774年、ダンモア戦争。オハイオ植民者は、アメリカ先住民イロコイ族と戦争し、植民者は先住民の居住地域を併合した。

[編集] 独立戦争と先住民の制圧
1775年4月-1783年11月、アメリカ独立戦争。イギリスのアメリカ大陸植民地は、宗主国イギリスに対して独立戦争を戦い独立を実現した。
1776年-1794年、チカマウガ戦争。アメリカ軍(ワシントン大統領)は、バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、ケンタッキー、テネシーのアメリカ先住民チカモーガ族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1785年-1795年、ノースウエスト戦争。アメリカ軍(ワシントン大統領)は、ケンタッキー、オハイオ、インディアナ、ミシガン、イリノイ、ウィスコンシンのアメリカ先住民オタワ族、オジブワ族、ポタワトミ族、ショーニー族、ワイアンドット族、キカプー族、ピアンカショー族、ワー族、ウォバシュ族、カスカスキア族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1811年-1813年、テカムセ戦争。アメリカ軍(マジソン大統領・民主共和党)は、インディアナ、ミシガンのアメリカ先住民ショーニー族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1812年-1814年、米英戦争。イギリス政府はアメリカを再び植民地化しようとして、イギリス軍がアメリカに侵攻したが、アメリカ軍はイギリス軍を撃退して独立を維持した。
1813年、ピオリア戦争。アメリカ軍(マジソン大統領・民主共和党)は、イリノイのアメリカ先住民ポタワトミ族、キカプー族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1813年-1814年、クリーク戦争。アメリカ軍(マジソン大統領・民主共和党)は、ジョージア、アラバマのアメリカ先住民クリーク族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1816年-1818年、1616年-1818年のセミノル戦争。アメリカ軍(モンロー大統領・民主共和党)は、フロリダのアメリカ先住民セミノル族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1827年、ウインネバゴ戦争。アメリカ軍(アダムス大統領・連邦党)は、ウィスコンシンのアメリカ先住民ポタワトミ族、スー族、ソーク族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1832年、ブラック・ホーク戦争。アメリカ軍(ジャクソン大統領・民主共和党)は、ミシガン、イリノイのアメリカ先住民ソーク族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1835年-1842年、1835年-1842年のセミノル戦争。アメリカ軍(ジャクソン大統領・民主共和党、ハリソン大統領・ホイッグ党)は、フロリダのアメリカ先住民セミノル族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1837年、オーセージ戦争。アメリカ軍(ヴァン・ビューレン大統領・民主共和党)は、ミズーリ、カンサス、オクラホマ、ネブラスカのアメリカ先住民オーセージ族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1846年-1848年、米墨戦争。アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、当時メキシコ領だった、現在のアリゾナ、ユタ、ネバダ、カリフォルニアの全地域、ニューメキシコ、コロラド、ワイオミングの一部の地域の領有を目的としてメキシコに宣戦布告した。アメリカ軍(ポーク大統領・民主党)は、メキシコを侵略し、アリゾナ、ユタ、ネバダ、カリフォルニアの全地域、ニューメキシコ、コロラド、ワイオミングの一部の地域を併合した。
1848年-1855年、カユース戦争。アメリカ軍(ポーク大統領・民主党、タイラー大統領・ホイッグ党、フィルモア大統領・ホイッグ党、ピアース大統領・民主党)は、オレゴン、ワシントンのアメリカ先住民カユース族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1855年-1856年、ログーリバー戦争。アメリカ軍(ピアース大統領・民主党)は、オレゴンのアメリカ先住民ログー族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1855年-1858年、1855年-1858年のセミノル戦争。アメリカ軍(ピアース大統領・民主党)は、フロリダのアメリカ先住民セミノル族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1855年6月-1858年9月、ヤキマ戦争。アメリカ軍(ピアース大統領・民主党)は、ワシントンのアメリカ先住民ヤキマ族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1858年5月、スポーカン・コアダレン・パルース戦争。アメリカ軍(ピアース大統領・民主党)は、ワシントンのアメリカ先住民スポーカン族、コアダレン族、パルース族、パイユート族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1860年-1865年、カリフォルニア戦争。アメリカ軍(歴代大統領は、ブキャナン・民主党、リンカーン・共和党、ジョンソン・共和党)は、カリフォルニアのアメリカ先住民ウィヨット族、ユーロク族、トロワ族、ノムラキ族、チマリコ族、ツナングー族、ホワイカット族、カラク族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1861年-1864年、ナバホ戦争。アメリカ軍(ピアース大統領・民主党、リンカーン大統領・共和党)は、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナのアメリカ先住民ナバホ族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1861年4月-1865年4月、南北戦争。バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、フロリダ、アラバマ、テネシー、アーカンソー、ミシシッピ、ルイジアナ、テキサス(民主党の州知事・民主党が多数派の州議会)は奴隷制度の廃止に反対して、アメリカ合衆国からの離脱とアメリカ南部連合の樹立を宣言した。アメリカ合衆国(リンカーン大統領・共和党)は、アメリカ合衆国からのアメリカ南部連合の離脱を阻止するために、アメリカ南部連合と南北戦争を開始した。アメリカ合衆国軍がアメリカ南部連合軍を軍事力で制圧し、アメリカ南部連合はアメリカ合衆国に降伏し、南北戦争は終結した。
1862年8月、スー戦争。アメリカ軍(リンカーン大統領・共和党)は、ミネソタ、ノースダコタ、サウスダコタのアメリカ先住民スー族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1863年-1865年、コロラド戦争。アメリカ軍(リンカーン大統領・共和党、ジョンソン大統領・民主党)は、コロラドのアメリカ先住民コマンチ族、カイオワ族、アラパホ族、シャイエン族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1863年1月-1886年9月、アパッチ戦争。アメリカ軍(歴代大統領は、リンカーン・共和党、ジョンソン・民主党、ヘイズ・共和党、ガーフィールド・共和党、アーサー・共和党、クリーブランド・民主党)は、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナのアメリカ先住民アパッチ族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1864年-1869年、ハラパイ戦争。アメリカ軍(歴代大統領は、リンカーン・共和党、ジョンソン・民主党、グラント・共和党)は、アリゾナのアメリカ先住民ハラパイ族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1866年11月-1868年11月、レッドクラウド戦争。アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党)は、ワイオミング、モンタナのアメリカ先住民スー族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1867年-1875年、コマンチ戦争。アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党、グラント大統領・共和党)は、コロラド、オクラホマ、カンサス、テキサス、ニューメキシコのアメリカ先住民コマンチ族、カイオワ族、アラパホ族、シャイエン族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1872年11月-1873年6月 モドック戦争 -- アメリカ軍(グラント大統領・共和党)は、オレゴン、カリフォルニアのアメリカ先住民モドック族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1874年6月-1875年6月、レッドリバー戦争。アメリカ軍(グラント大統領・共和党)は、テキサスのアメリカ先住民コマンチ族、シャイエン族、カイオワ族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1876年-1877年、ブラックヒルズ戦争。アメリカ軍(グラント大統領・共和党)は、ノースダコタ、サウスダコタのアメリカ先住民スー族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1877年、ネズパース戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、オレゴン、アイダホ、ワイオミング、モンタナのアメリカ先住民ネズパース族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1878年、バノック戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、アイダホ、ワイオミングのアメリカ先住民バノック族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1878年-1879年、シャイエン戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、オクラホマのアメリカ先住民シャイエン族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1879年5月-1979年9月、シーピター戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、アイダホのアメリカ先住民シーピター族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1879年9月-1880年11月、ウート戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、ユタ、コロラド、ワイオミングのアメリカ先住民ウート族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。
1890年11月-1890年1月、パインリッジ戦争。アメリカ軍(ヘイズ大統領・共和党)は、サウスダコタのアメリカ先住民スー族と戦争し、先住民の居住地域を併合した。

[編集] 第二次世界大戦終結まで
1898年4月-1898年8月、米西戦争。アメリカ軍(マッキンリー大統領・共和党)は、スペイン軍と戦争した。戦争の結果、アメリカはプエルトリコ、フィリピン、グアムを領土として獲得し、キューバを保護国とした。
1899年2月-1902年4月、米比戦争。アメリカ軍(マッキンリー大統領・共和党)は、独立戦争を開始したフィリピン武装民兵に対して、独立を阻止するための武力行使を開始した。アメリカ軍は1902年4月までにフィリピン武装民兵を制圧して戦争は終結した。
1900年7月-1901年9月、北清事変への派兵。アメリカ軍(マッキンリー大統領・共和党)は、日本軍、ロシア軍、イギリス軍、フランス軍、イタリア軍、ドイツ軍、オーストリア・ハンガリー軍とともに清に侵攻(義和団事件または北清事変)し、清と和平条約を締約し清から軍を撤退した。
1902年、1902年のコロンビア領パナマ侵攻。アメリカ軍(ルーズベルト大統領・共和党)は、内戦中のコロンビアの反政府武装民兵を制圧するために、コロンビア領のパナマに侵攻した。
1906年-1909年、1906年-1909年のキューバ侵攻。アメリカ軍(ルーズベルト大統領・共和党)は、キューバの反政府武装民兵の制圧を目的としてキューバに侵攻し、1909年に撤退するまでキューバを占領統治した。
1912年7月-1933年1月、1912年-1933年のニカラグア侵攻。アメリカ軍(タフト大統領・共和党)は、アメリカに協力的な政権を樹立するために、1912年にニカラグアに侵攻し占領した。1933年までの占領統治期間に、アメリカ政府(歴代大統領は、タフト・共和党、ウイルソン・民主党、ハーディング・共和党、クーリッジ・共和党、フーバー・共和党、ルーズベルト・民主党)は、ニカラグアの政治・経済制度をアメリカに協力的な制度に変革し、反政府武装民兵を武力で制圧した。1933年、ニカラグア独立運動のアメリカ軍撤退の要求により、アメリカ軍(ルーズベルト大統領・民主党)は撤退した。
1914年4月-1914年11月、1914年のメキシコ侵攻。アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、メキシコ革命戦争時に、アメリカ軍兵士がメキシコ政府軍に拘束されたことを経緯として、革命勢力を支持しメキシコ政府の打倒に協力する目的で、タンピコ港を攻撃し7か月間占領した。
1915年7月-1934年8月、1915年-1934年のハイチ侵攻。アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、アメリカに協力的な政権を樹立するために、1915年7月にハイチに侵攻し占領した。1935年8月までの占領統治期間に、アメリカ政府(歴代大統領は、ウイルソン・民主党、ハーディング・共和党、クーリッジ・共和党、フーバー・共和党、ルーズベルト・民主党)は、ハイチの政治・経済制度をアメリカに協力的な制度に変革した。1935年8月、ハイチ独立運動のアメリカ軍撤退の要求により、アメリカ軍(ルーズベルト大統領・民主党)は撤退した。
1916年3月-1917年1月、1916年-1917年のメキシコ侵攻。アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、メキシコ革命戦争時に、革命の指導者の一人であるパンチョ・ビリャの武装民兵がアメリカの民間人を殺害し、パンチョ・ビリャの武装民兵がニューメキシコ州に侵攻し民間人を殺害したことに対して、パンチョ・ビリャを討伐し武装民兵を掃討する目的でメキシコに侵攻したが、ビリャりの討伐も武装民兵の掃討も実現できずに撤退した。
1916年5月-1924年、1916年-1924年のドミニカ共和国侵攻。アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、アメリカに協力的な政権を樹立するために、1916年5月にドミニカ共和国に侵攻し占領した。1924年までの占領統治期間に、アメリカ政府(ウイルソン大統領・民主党、ハーディング大統領・共和党、クーリッジ大統領・共和党)は、ドミニカ共和国の政治・経済制度をアメリカに協力的な制度に変革した。1924年、ドミニカ共和国は選挙で選出された政権を樹立し、アメリカ軍(クーリッジ大統領・共和党)は撤退した。
1917年4月-1918年11月、第一次世界大戦の米独戦争。アメリカは1914年7月の第一次世界大戦開戦以後も、議会と国民の反対により中立を継続し、アメリカの第一次世界大戦への関与はイギリス、フランスに対する武器・物資の供給に限定していたが、ドイツ軍がイギリス、フランスへの武器・物資を輸送するアメリカの貨物船を攻撃したことに対し、アメリカ議会(上院は民主党・下院は共和党が多数派)は、ドイツに対して宣戦布告し、アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、第一次世界大戦のヨーロッパ戦線に参戦した。1918年9月、ブルガリアは協商国に降伏、1918年10月、オスマン帝国が協商国に降伏、1918年11月、ドイツ、オーストリア・ハンガリーが協商国に降伏し、第一次世界大戦は終結し、アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、ヨーロッパ戦線から撤退した。
1918年8月-1919年8月、シベリア出兵。アメリカ政府(ウイルソン大統領・民主党)は、日本、イギリス、フランスとともに、ロシア革命で成立した共産主義政権がドイツと和平協定を成立させて第一次世界大戦から離脱し、ドイツが西部戦線の戦力を増強したことに対して、非共産主義勢力の政権を樹立し、ロシアとドイツの東部戦線を復活させることを目的として、ロシアのシベリアに派兵した。1919年にドイツで革命が発生しドイツと連合国との戦争が終結し、シベリア出兵の目的も消失したので、アメリカ軍(ウイルソン大統領・民主党)は、イギリス軍、フランス軍とともにロシアのシベリアから撤退した。
1941年12月-1945年8月、第二次世界大戦の米日戦争。アメリカは1939年9月の第二次世界大戦開戦以後も、議会と国民の反対により中立を継続し、アメリカの第二次世界大戦への関与はイギリス、ソ連に対する武器・物資の供給に限定していたが、日本がアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は日本に宣戦布告し、アメリカ軍は第二次世界大戦の太平洋戦線に参戦した。1945年2月-8月、アメリカ軍(ルーズベルト大統領・民主党、トルーマン大統領・民主党)は、日本の東京、大阪、横浜、名古屋、その他の都市を焼夷弾で攻撃し、広島と長崎を原子爆弾で攻撃し、非戦闘員の市民を大量に殺害した。1945年8月、日本政府は連合国に降伏し、日本とアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、オーストラリア、中国、ソ連、その他の連合国との戦争、第二次世界大戦のアジア太平洋地域の戦争が終了した。
1941年12月-1945年5月、第二次世界大戦の米独戦争。日本がアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は日本に宣戦布告した結果、ドイツはアメリカに宣戦布告、アメリカ議会もドイツに宣戦布告し、アメリカ軍は第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に参戦した。1945年2月-5月、アメリカ軍(ルーズベルト大統領・民主党、トルーマン大統領・民主党)は、ドイツのドレスデン、その他の都市に対する空爆・焼夷弾攻撃で非戦闘員の市民を大量に殺害した。1945年5月、ドイツは連合国に降伏し、ドイツとソ連、アメリカ、イギリス、フランス、その他の連合国との戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ地域の戦争が終了した。
1941年12月-1943年9月、第二次世界大戦の米伊戦争。日本がアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は日本に宣戦布告した結果、イタリアはアメリカに宣戦布告、アメリカ議会もイタリアに宣戦布告し、アメリカ軍は第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に参戦した。1943年9月、イタリアは国民がファシスト等政権を打倒して臨時政府を樹立して連合国に降伏し、イタリアとアメリカ、イギリス、フランス、ユーゴスラビア、その他の連合国との戦争が終了した。イタリア北部はドイツ軍とドイツ軍が支援するファシスト党の支配下にあり、イタリアは連合国に参加してドイツに宣戦布告した。

[編集] 冷戦期
1950年6月-1953年7月、朝鮮戦争。アメリカ軍(トルーマン大統領・民主党)は、イギリス軍、フランス軍、その他の連合国軍とともに、韓国に侵攻した北朝鮮軍を韓国から排除することを目的として、朝鮮戦争に介入し朝鮮半島に侵攻した。朝鮮半島の戦闘は韓国軍・連合国軍と北朝鮮軍・中国軍の占領地の争奪の繰り返しで消耗戦になった。1953年7月に韓国政府、アメリカ政府(アイゼンハワー大統領・共和党)、イギリス政府、フランス政府、その他の連合国政府、北朝鮮政府、中国政府の停戦協定が成立し、朝鮮戦争は停戦した。
1858年7月-1958年10月、1958年のレバノン派兵。アメリカ政府(アイゼンハワー大統領・共和党)は、西欧諸国との協力関係を求めるシャムーン大統領とキリスト教徒と、アラブ諸国との協力関係を求めるラシドカラミ主張とイスラム教徒の対立紛争を収束するために治安維持部隊を派兵した。
1961年4月、キューバ侵攻・ピッグス湾事件。アメリカ政府(ケネディ大統領・民主党)は、キューバのカストロ政権の打倒と、アメリカに協力的な政権の樹立を目的に、亡命キューバ人に武器と資金を供給し、キューバへの軍事侵攻をアメリカ軍が背後から支援した。
1961年11月-1973年3月、ベトナム戦争。アメリカ政府(ケネディ大統領・民主党)は、1961年11月、南ベトナムとアメリカに協力的な南ベトナムのゴ・ディン・ディエム政権を、北ベトナムと南ベトナム解放戦線から保護し、南ベトナムの共産主義体制化の抑止と、ベトナムの共産主義体制化によりベトナムを基点に東南アジア諸国が共産主義体制化することを抑止するために、南ベトナムに空軍と軍事顧問団を派遣し、1962年2月、ベトナムに軍事援助司令部を設置し、ベトナム戦争へのアメリカの軍事介入を開始し、南ベトナム解放戦線とその支配地域に対して通常爆弾・焼夷弾・枯葉剤などを使用した攻撃・空爆を命じた。1964年8月、アメリカ議会(上院・下院とも民主党が多数派)は、北ベトナムに対する宣戦布告を可決し、アメリカ軍は北ベトナムの海軍基地に対する攻撃を開始した。アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党)は、1965年2月に北ベトナムに対する空爆を開始し、1965年3月に南ベトナムに対する陸軍・海兵隊の投入を開始し、アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党、ニクソン大統領・共和党)は北ベトナムの都市に対する焼夷弾攻撃、ジャングルへの枯葉剤散布で非戦闘員の市民を大量に殺害し、停戦協定成立の1973年1月まで継続して行った。1973年1月、アメリカ政府(ニクソン大統領・共和党)と、北ベトナム政府、南ベトナム政府、南ベトナム民族解放戦線との和平協定が成立した。アメリカ軍は協定成立直後から撤退を開始し、1973年3月にベトナムから撤退を完了した。
1965年4月 -1966年7月、1965年-1966年のドミニカ共和国派兵。アメリカ軍(ジョンソン大統領・民主党)は、内戦中のドミニカ共和国に、ドミニカ共和国の治安維持と国民の保護を目的として侵攻した。
1970年4月-1970年6月、カンボジア侵攻。アメリカ軍(ニクソン大統領・共和党)は、南ベトナム民族解放戦線、北ベトナム軍の補給路を遮断するためカンボジアに侵攻した。
1971年2月-1970年6月、ラオス侵攻。アメリカ軍(ニクソン大統領・共和党)は、南ベトナム民族解放戦線、北ベトナム軍の補給路を遮断するためラオスに侵攻した。
1982年8月-1984年2月、1982年-1984年のレバノン派兵。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、イギリス軍、フランス軍とともに、レバノン内戦中にレバノン政府がPLOを国外退去させた後のパレスチナ難民の保護を目的として、レバノンに治安維持部隊を派遣した。1983年12月、アメリカ軍は、レバノンに治安維持部隊として展開しているしているアメリカ軍の航空機がシリア軍に攻撃・撃墜されたことに対して、レバノンに侵攻しているシリア軍基地を攻撃し破壊した。ヒズボラのアメリカ大使館爆破事件、アメリカ軍北爆破事件で国民の撤退要求が高まり、アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、レバノンから撤退した。
1983年9月-1984年4月、1983年-1984年のニカラグア空爆。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、アメリカに協力的なソモサ親子の独裁政権を打倒したサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の政権を打倒し、アメリカに協力的な政権を再び樹立するために、民間武装勢力コントラに資金・武器を支援して、サンディニスタ民族解放戦線の政府軍との内戦を支援し操るとともに、アメリカ軍が直接軍事介入してニカラグアを空爆した。
1983年10月、グレナダ侵攻。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、グレナダに侵攻し、ソ連、キューバに協力的な軍事政権を打倒し、アメリカに協力的な政権を樹立し、グレナダ軍を武装解除した。
1986年4月、リビア空爆。アメリカ軍(レーガン大統領・共和党)は、リビアがアメリカの旅客機を爆破したことに対する制裁でリビアを空爆した。
1988年7月、イラン航空機撃墜事件。アメリン軍(レーガン大統領・共和党)の海軍艦船ビンセンスはペルシャ湾を航行中に、イランからアラブ首長国へ飛行中だったイラン航空の旅客機を軍用機と誤認してミサイルで攻撃して撃墜し、乗客と乗員290人が死亡した。
1989年12月、1989年のパナマ侵攻。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、パナマに侵攻し、ノリエガ政権を打倒し、パナマ軍を武装解除した。アメリカ政府はノリエガ将軍の身柄を拘束し、麻薬密輸の罪でアメリカ国内で訴追した。裁判所はノリエガ被告人に懲役40年の判決(後に30年に減刑された)をし、ノリエガ受刑者は2007年1月現在服役中である。

[編集] 冷戦後
1991年1月-1991年3月、湾岸戦争。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、イギリス軍、フランス軍、他の多国籍軍とともに、クウェートを占領しているイラク軍をクウェートから排除することを目的としてクウェートに侵攻し、湾岸戦争を開始した。アメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、その他の多国籍軍はクウェートからイラク軍を排除し、アメリカ政府、イギリス政府、フランス政府、その他の多国籍軍の政府とイラク政府との停戦協定が成立し、湾岸戦争は停戦した。
1992年12月-1994年3月、ソマリア派兵。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、内戦中のソマリアの治安維持と国民の保護を目的にソマリアに侵攻した。アメリカ軍は部族紛争に対応できず、ソマリアの治安維持と国民の保護を目的を達成できず、アメリカ軍兵士が武装民兵に殺害されたので、アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、ソマリアから撤退した。
1993年1月、イラク空爆。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いを理由として空爆を行った。
1993年6月、イラク空爆。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いを理由として空爆を行った。
1994年9月-1995年3月、1994年-1995年のハイチ派兵。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、内戦中のハイチ内戦の治安維持と国民の保護を目的としてハイチに侵攻した。
1995年8月-1995年9月、ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、イギリス軍、フランス軍、その他のNATO加盟国軍は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア人、イスラム教徒をセルビア軍とセルビア人武装民兵の武力攻撃・ジェノサイドから保護する目的で、ボスニア・ヘルツェゴビナを空爆した。
1996年9月、イラク空爆。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いと、イラク政府軍のクルド人自治区への武力攻撃に対する制裁を理由として空爆を行った。
1998年8月、スーダン空爆。アメリカ政府(クリントン大統領・民主党)は、ケニア、タンザニアのアメリカ大使館がアル・カーイダにより爆破されたことに対して、スーダンがアル・カーイダに訓練基地を提供していると認識し、アル・カーイダの訓練基地を破壊するという理由で、スーダンを空爆した。スーダン政府はアメリカ大使館爆破の時点以前にアル・カーイダを国外に退去させていたので、アメリカ軍に攻撃された場所はアル・カーイダの訓練基地ではなく医薬品と飲食品を製造する工場だった。
1998年8月、アフガニスタン空爆。アメリカ政府(クリントン大統領・民主党)は、ケニア、タンザニアのアメリカ大使館がアル・カーイダにより爆破されたことに対して、アフガニスタンがアル・カーイダに訓練基地を提供していると認識し、アル・カーイダの訓練基地を破壊するという理由で、アフガニスタンを空爆した。
1998年12月、イラク空爆。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いを理由として空爆を行った。
1999年3月、コソボ空爆。アメリカ軍(クリントン大統領・民主党)は、コソボ紛争中のセルビアのコソボ自治州のアルバニア人をセルビア軍とセルビア人武装民兵の武力攻撃から保護する目的で、セルビアのコソボ自治州を空爆した。空爆の過程で在セルビアの中国大使館が誤認により攻撃され、大使館員が死傷した。
2001年2月、イラク空爆。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、湾岸戦争の停戦条件で規定されたイラクの大量破壊兵器廃棄義務に対する違反行為の疑いを理由として空爆を行った。
2001年10月 -(2007年6月現在で継続中)、アフガニスタン戦争。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、アフガニスタンのタリバーン政権がアル・カーイダに訓練基地を提供していると認識し、アル・カーイダの訓練基地を破壊し、タリバーン政権を打倒して、アフガニスタンにアメリカに敵対しない政権を樹立することを目的として、アフガニスタンに軍を侵攻させ、タリバーン政権を打倒した。
2003年3月 -(2007年6月現在で継続中)、イラク戦争。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を開発・配備し、国連の査察に非協力的な態度であり、非軍事的な手段ではイラクの大量破壊兵器を破棄できないと認識し、武力行使でイラクの大量破壊兵器を破棄し、フセイン政権を打倒して、アメリカに敵対的でない政権を樹立することを目的として、イラクに軍を侵攻させ、フセイン政権を打倒した。
2003年8月-2003年9月、リベリア派兵。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、内戦中のリベリアの治安維持と国民の保護を目的としてリベリアに治安維持軍を派兵した。
2003年2月-2003年6月、2003年のハイチ派兵。アメリカ政府(ブッシュ大統領・共和党)は、内戦中のハイチ内戦の治安維持と国民の保護を目的としてハイチに治安維持軍を派兵した。
2007年1月、ソマリア空爆。アメリカ軍(ブッシュ大統領・共和党)は、1998年のケニア、タンザニアの大使館爆破事件の実行者に対する掃討作戦でソマリアを空爆した。
上記のアメリカの戦争の歴史に関する備考
民主共和党、ジェファーソン共和党は民主党の前身である。
連邦党、ホイッグ党は共和党の前身である。

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